グレーゾーンな30代独身派遣女子の日常

30代独身派遣女子の日常

元彼に日々振り回されています

地域のリサイクルショップ巡りの薦め

元彼と会えない日が続くようになってから、最近の私は一人散歩にハマっている。個展やイベント等あれば別だが、基本は、今まで訪れたことのない土地を巡るのが私流。

 

まずgoogleマップを開き、周辺で古着の取り扱いがあるリサイクルショップを検索。歩ける範囲に複数店舗が構えてあれば◎。なければ1駅2駅までなら、公共交通機関での移動も可とする。

 

少し前までは、そこでランチに何を食べるか、どのカフェを訪れるか、お土産のスイーツをどこで買うか…等、諸々調べていたが、最近の私はそういうことはしない。1から100まで調べ尽くすことが、段々とストレスになってきたのだ。

 

プチ旅は、もっと気軽に行きたい。

 

リサイクルショップをメインに調べたら、次は近くに大きい商店街があるか、辺りが賑わっているかをチェック。ここまで調べたら、プチ旅のスタート!

 

 

電車移動中は、あまり携帯を見ないようにしている。車窓から見える景色を楽しみ、その地域毎の人間を観察する。慌ただしい人の多い駅、若い人の多い駅。ほとんど人の下りない駅。東京都内でも色々だ。

 

目的の駅に着くと、駅構内に物産展等あれば、その辺をぶらつき、事前にチェックしていたリサイクルショップへ向かう。

 

同じ看板を持つお店でも、取り扱いの古着は千差万別。地域の色が強い。奇抜なデザインが多い店もあれば、ビッグシルエットのものばかりを置いているところもある。

 

そこから自分好みのものを探し出し、お値段も良しとなれば、言うことはない。試着をして、レジに向かい、ホクホクで店を出る。このお洋服に、何を合わせようか。手持ちの中から色々なコーディネートを作り出してゆくのは、至福の時間である。

 

そうこうしていると小腹が空いてくる頃なので、周辺で軽く休憩出来るところを探してゆく。がっつり食べると、その後に響くため、ここは軽く行きたい。

 

都内だと甘味処で葛餅も良いし、甘いモノが好きなのでクレープもいい。コロッケや焼き鳥等、総菜系を置いている店があれば、そういった所を利用することもある。

 

事前に調べてはいないので、ここで少し悩むこともあるが、そういった時は地域の色を楽しむつもりで、のんびり散策する。

 

普段の日常では、目にもとめない木々の移ろいを感じたり、花の香りを楽しんだりと、色々と楽しみ方はあるものだ。

 

小休憩を挟み、まだ時間があるようならば、次のリサイクルショップへ。こんなことを繰り返してゆく。

 

そしてまた、次のプチ旅は今回購入したお洋服で身を包み、新しい出会いを求めにゆくのだ。

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元彼からのLineの内容に戸惑う夜。違う、それじゃない

週末等に元彼と楽しい時間を過ごしてしまうと、次の日の夜、無性に彼の声が聞きたくなってしまう。

 

元彼と別れて友達という関係に戻ってから、彼から積極的に連絡はない。私から連絡をすれば、絶対に当日中に返してはくれるが、それだけだ。

 

もう、私への愛情は無くなってしまったのだろうか。

 

仕事で忙しい人だけど、会いたいと言えば時間を作ってくれる。男性は愛情表現が苦手だという。私よりも20歳も上の人だから、よりそういった傾向が顕著なのだろうか。そんな風に自分を慰めてみたりするけれど、それで納得出来るほど夢を見れる年齢でもない。

 

私も、もう30なのだ。

 

別れていた私達が友達に戻る時。彼は、まだ私のことが好きだと言っていた。でも、やっぱり結婚についてはすぐに答えが出せないと。2ヵ月欲しいと。彼の言葉を信じて、2ヵ月。まだ、彼からの返事はない。

 

果たして、私達の今後について彼は考えてくれているのだろうか。

 

期待するほうが、バカなのだろうか。

 

そんなことを、3月に入ってから毎日のように考える。私から連絡をしなければ、お互いの距離はどんどんと開いてゆく。2日。3日。

 

いつも耐え切れず、私から連絡を取ってしまう。こんなことでは、またいいように使われてしまう。分かってはいるのに、彼の顔が見たいし、彼の声が聞きたいし、彼のメッセージを見たかった。

 

そんな時。いつぶりだろうか、彼からLineのメッセージが届いた。

 

花粉症の対策動画の共有だった。

 

私は重度の花粉症だ。

ただ、私が待っていたのはこれではない。

 

…ああ、どうしろと。

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元彼からドタキャンの連絡。私流、気分転換方法

元彼から、やっぱり会えないかとの連絡があったのも束の間。了承の返事をして2日後。彼から「仕事の予定が入った」と追加のメッセージが届いた。

 

元彼からお誘いの連絡があった時のブログ↓

ahiru0301.hatenablog.com

 

別に「本当に仕事の予定なの?」と疑っているわけではない。了承の返事をした後に、連絡がなかなか返ってこなかった時点で、なんとなく予想はしていた。ただ、だからといってショックを受けなかったのかといえば、そういうわけではない。

 

「私ばっかりが会いたいのか…」そんな思いが、また強くなる。

 

 

いや、もう駄目だ。

これ以上は卑屈になってしまう。ひとまず今回のことは忘れよう。次、どう動くかも考えるのを止めよう。とりあえず、自分を労わろう。

 

そう思い、元彼から断りの連絡が来た日曜日は、近場に大好きなクレープを食べに行った。本当は豪華なランチでも食べたいが、最近、外でがっつり食べるとお腹が痛くなるので、軽めに。

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そのまま近くの商店街を散策する。

 

地域の素敵カフェを見つけ、将来行ってみる候補地に追加。

 

八百屋さんで野菜が安く売っている。気になるが、今、買ってしまうと荷物になってしまうし…今日はまだ、お家には帰りたくないのだ。そのまま突っ切ると、次はパン屋さん。良い香りが漂ってくる。そういえば、節約を意識し出してから、こういったところで買い物をすることがめっきり減ってしまったことに気付いた。

 

「せっかくだし、このまま洋服でも買いに行こうか。」

 

足はそのまま、電車に乗って、行き先地を近くのリサイクルショップへ。

 

黄昏時の眩しい光が、車内を照らしている。暖かくてポカポカした陽だまり。このままうたた寝でもして、どこかに行ってしまいたくなるような気持ちに染まる。

 

 

「    」

 

目的の駅に着いたようだ。

 

当初、服を購入する予定は無かったため、どんなものを探そうかと思案する。「スカートは以前買ったから、トップス…帽子でもいいな。バックもお洒落なのがあれば…」

 

お店に着いた私は、店内を端から眺めてゆく。

 

いろいろとあるけれど、冬ももうすぐ終わるし、これからちょっと暖かくなっても着れるものがいい。そこでふと目に入ったのが、緑のニットベスト。こういうのが運命の出会いとでも言うのだろうか。

 

こちらを手に取り、試着室へ。うん。やっぱり可愛い。今日はこの子にしよう。

 

その後2周ほど店内を回り、レジへ。

 

本日の購入品:緑のニットベスト 550円

恋愛の駆け引きに従いたくないけど、なめられたくもない心情

「今週末は実家へ帰省するから、君とは会えない」と返された木曜日。ちょっと不貞腐れていた私だが、彼から追加で連絡が来た。「月曜日の午後からだったら、時間を作れる」と。

 

…正直、会いたい。でも、ここで会ってしまったら負けなのだろうか。そもそも一緒に会って話をするという約束を取り付けるのに、勝ちとか負けとかあるのだろうか。

 

最近、よく分からなくなる。

 

私から連絡したら負け?

返事を早く返したらなめられる?

いつも相手の要求を呑んでいたら、調子良く使われる?

 

男女の恋愛の駆け引きというものに、今の私は惑わされすぎているのだろうか。こうした、本音を隠して「恋愛を上手く攻略するためのルール」というものに従った先で、私は幸せになれるのだろうか。

 

じゃあ、もし結婚したら?その後も、ずっとそういった「旦那を上手くコントロールするためのルール」みたいなものに縛られながら生きてゆかなければいけないのだろうか。

 

いつになれば、本音で生きられるのだろう。

 

彼も、そういったルールを利用して私をコントロールしようとしているのだろうか。

 

彼からの連絡が遅いと「これは、あえて私を焦らしているのだろうか」と考えたりする。でも、仕事の忙しい彼がそこまでするだろうか。分からない。ただ、もし前者なのだとしたら、そんな小手先の技術で私を惑わせようとしていることに腹が立つ。

 

彼はどうなのだろう。

 

私が色々なテクニックで貴方をコントロールしようとしているのを、腹立たしく思っているのだろうか。お前こそ本音でぶつかってこいと考えているのだろうか。

 

傍から見ると、私達がお互いを想い通りに動かそうと、本音を見せず、世間で良しとされる言葉と技術を駆使してコミュニケーションを取っている状況は、非常にもどかしい状況のようにも思う。

 

別に素直になりたくないとか、恥ずかしいとか、そういうわけじゃない。

ただ、大事にして欲しいだけなのに。

モノを捨てる基準について、改めて考えてみる

私は昔から「何か1つ新調する」と「何か1つ捨てる」というのを、無意識に実施している。特に両親から注意を受けたわけでも、何か本で習ったわけでもないが、この作業は私の中のルーティンとなっている。

 

ある日、いつもの感覚で新しい服を購入したため、古い持ち物の中から何か捨てるものはないかと物色していた。先の習慣を徹底しているため、それほど古い服は持ち合わせていないが、その手持ちの中からも、比較的登場頻度が少なく、手放してよさそうなものを見繕ってゆく。

 

「まあ、これならいいだろう」

 

暫くして、手ごろなものを選び出し、ゴミ箱へ。先ほどまでに散らかした服を整理していると、ルームメイトから「え!?」の声が向けられた。「これ本当に捨てるの?」と。「そうだ」と答えると「まだ綺麗なのに」と返ってくる。

 

確かに、穴が空いてるわけでも汚れてるわけでもない。着ようと思えば、全然恥ずかしくない服だ。しかし、私の体は1つしかない。いくら大量の服を保管していても、着尽くせないだろう。

 

それで訊いてみると、彼女は服1つ1つに購入した時の思い出や、着て出かけた時の思い出が詰まっていて捨てられないタイプらしい。

 

私は、あまりそういうのはない。服は服だ。それ以上も、それ以下もない。思い出は新しく作ってゆけば良い。むしろ、あまり過去の思い出を想っていると、疲れてしまう。

 

だから、あえてそういった思い入れの強いものは、手放したくなってしまうのだ。

 

これは私独特の考え方なのだろうか。

 

元彼は、私より20歳年上の人だ。彼も、もともとは私のような考え方の人だったらしい。でも最近は、思い出を残そう残そうと躍起になっている。ふと、人生を振り返った時に、写真も何も残っていないことが空しい?悲しい?らしい。

 

自分も、その内そういった考え方になってゆくのだろうか。

 

もう少し、思い出というものを大事にした方が良いのだろうか。

 

それでもやっぱり、今は色々と捨ててしまう。

けれど、残すと決めたものについては、もう少し大切にしてみても良いのかもしれない。

 

最近、少しだけ写真を撮るようになった。

 

あまり見返すことは多くないが、たまに仕事を変えるだとか、人間関係が変わるだとか、そういった区切りの時に振り返る。「ああ、自分はこの期間、こんな風に過ごしてきたのか…」と考える時間を持てることは、今後の生き方を模索する材料となる。

 

あまり色々なものを手放しすぎるのは、今を蔑ろにする行為なのかもしれない。

 

少しだけ、注意してみようと思う。