モノを捨てられないのは悪なのか?モノに囲まれる安心感
お題「オタクグッズの処分方法を教えてください。金額を考えてふと我に返ってるところです。」
違う趣味を見つける。
この一択。
私の場合は、趣味の移り変わりが早いから、あまり意識してこれをすることはない。
新しい好きなモノを見つけると、今までハマっていたモノが途端に色あせる。
これは私特有の事象なのだろうか。
私は同時並行で
複数の好きを両立出来るほど器用ではないのだ。
私は漫画・小説問わず、よく本を読む。
ただ、だからといって部屋に書籍が所狭しと並んでいるわけではない。
私は「好き」のジャンルが光のスピードで移り変わる。
実用書→ファッション雑誌→占い→日本文学→お笑い→時事ネタ→株→経済
こんな風に
その時々で次々に読むジャンルが変わるのだ。
その瞬間に好みの本達に囲まれていたいという願望はある
ただ、1つのジャンルに留まっていられるのは、長くても半年ほど。2ヵ月ほどで次へ移ることも多い。
そうなってくると、少し前まで好きだった本達が、感銘を受けたそれらが、途端に不要なものに見えてしまう。
その瞬間にまとめて処分する。
そういう生き方を長く続けてきた。
私は今、大学の頃の友人とルームシェアをしている。
彼女は私とは真逆で、物が捨てられない性格だ。
部屋は足の踏み場が無く、モノは膝の高さぐらいまで積み上げられている。
その状況を見るまでは、そんな世界はテレビの中だけの現実だと思っていた。
こんな彼女から見てみると、私の部屋は病室のようだと言われる。
そこまでだろうか。
それなりに服も本も、ぬいぐるみもあるのだけど。
とはいえ自分にも、モノを捨てられない時期があった。
それは自律神経を崩して、適応障害となった時だ。
モノを片付けるという気力が湧かなかった。
いや、モノに意識を向けるという感覚が起こらなかった。
そしてその時に、初めて知ることとなる。
モノに囲まれた生活は、どこか安心感があるのだ。
あの時、ルームメイトの部屋は非常に居心地が良かった。
部屋の状態は精神のバロメーターだと思う。
感覚的に処分出来ない時、したくない時、無理に行動を起こす必要は無いのかもしれない。
あの時の経験から、
そう感じる。
だから、ルームメイトに部屋を片付けろとか、口出しすることはない。
生ごみは別として。
(そもそも自分の部屋をどうしてようと、興味が無いところが大きいけれど…)