自分の意思で『へんしん』出来ないメタモンの悩み
私には確固とした自分というものがない。
ゆえに周りの人や環境に影響を受けやすい。普通であれば、他人と合わせるというのは苦痛を伴う行為なのかもしれない。ただ、私の感覚だと、どちらかというと他人に合わせるというよりは、他人に成り変わるという表現が適切なように思う。
接客時代は、同じ店舗にいる複数の社員の人格をコピーした。
売上があがらないという理由で困ることは無かった。
会社員時代
私は当時からYouTubeをよく見ていた。
ハマっているYouTuberの人格が入ってくる。私の喋り方や笑い方、仕草等、自分を形成する要素が次々に塗り替えられてゆく。
「その笑い方、俺、あんまり好きじゃない。前まで、そんなことなかったじゃん。どうしたの?」そんなことを上長から言われたことがあった。その時に初めて「あ、この笑い方は彼女のモノだ」と、昨晩見たYouTuberの顔を思い出す。こういう時は、また別の人間をコピーすればいい。そうすれば、自身の中の彼女はいなくなる。
そんな生活を続けていた。
悩み
私には、自分というものがない。
だから、個性の強い人に惹かれる。
私は、他人に取り入るのが得意だ。彼らの善悪の判断、好みが手に取るように分かるのだ。あとは、それを上手く演じるだけ。
昔から人に好かれることが多かった。他人に好まれるというのは良いものだ。しかし、彼らが見ている私は、本当の自分ではない。誰かのレプリカだ。本当の私を知っている人も、求めてくれる人もいない。
友達は広く浅く。
心はいつも、寂しさを感じていた。
そんなことを言えば、「自分を曝け出してもいないのに、他人が求めるもなにも無いじゃないか」と返されるかもしれない。その通りだ。しかし、曝け出す自分というものが無いのだ。自分というのは無のようなものだ。ポケモンで言えば、メタモンのような。何物でもあり、何者でもない。そんな存在。
悩み→特技への昇華
東京に来てから、会社の先輩にそんな自分の悩みを相談したことがあった。いや、相談という程でもない。雑談のついでに、今までの経歴を話すことがあり、少し話を出した程度。
「君は、凄く器用なんだね。他人の人格に成りきれるということは、自分の中にその能力とか才能があるということでしょう。普通、なかなか出来ないよ。俺は、人の気持ちがよく分からないタイプだから。他人に合わせたくても、合わせられない。羨ましいよ」
彼は、私の悩みについて、こんな風に返してきた。
その発想は無かった。
そうか、他人が憑依してくるという特性は、他人に憑依できるという特技だったのか。
自分の中のモヤモヤが、晴れた瞬間だった。