グレーゾーンな30代独身派遣女子の日常

30代独身派遣女子の日常

元彼に日々振り回されています

在宅勤務の切欠で始めた株から学べること

私は去年の秋頃から、株というものをやっている。

切欠は色々とあるが、在宅勤務で自由な時間が増えたという部分が大きい。

 

株は昔から興味があった。ただ、自身の日常とあまりにもかけ離れた存在で、何度か手を出すものの、上手くハマらず投げていたのだ。今回も、いつもの衝動のようなもので「飽きるまでの暇つぶし」くらいの感じで始めてみた。

 

株をすることによって学べることは幾つかある。1つは株という仕組みについて。1つは経済や社会について。

 

あれから半年もしないくらい経過した今、先に挙げたものについては、ある程度の知識がついたように思う。ただそれ以上に副次的に得たものが多い。

 

 

お金の価値

今までも、お金のためもありながら働いていたのだから、お金に無頓着といいつつも、全くそれについて考えていなかったわけではなかったはずだ。

 

しかし、お金の価値というものを、正しく理解しようとしていたかと考えると、これは出来ていなかった。値札を見ずに買い物をすることは日常茶飯事だったし、視界にたまたま数字が入ったとして、日々の仕事のご褒美にと購入の手を止めることはない。

 

外食ばかりの生活だったが、原価を考えることも無く、ただ食べたい時に食べたいものを食べる日々。

 

それが株を始めるようになってから、目の前に気になる商品があった時「この金額を株にまわしたい」と考えるようになり、「この金額を株で稼ぐには」と思考を巡らせるようになった。

 

社会人として働いていて得るお金は、自分の努力量とは関係なく、決まった額が振り込まれる。一方で株については、もちろん運的な要素が無いではないが、サボればそれだけの損が生まれる。

 

そういった意味で、努力に比例した金額を目にする経験は、今まで、自分とモノの間に存在する間接的な媒体として捉えていたお金が、自分の努力量という物差しとイコールになった瞬間だった。

 

人生設計

今までも自分の人生について考えたことはあったが、かなり漠然とした捉え方をしていた。ゆえに、将来に不安は感じつつも、自分の力ではどうしようもないと、半ば諦め、絶望する。なんとなく今までの生き方に後悔しつつ、だからといって、改善策なんてないと信じる毎日。

 

しかしこれも、株を始めてからは、時間の経過というものをポジティブに捉えるようになる。

 

1年後、5年後、10年後の自分について想像を膨らませるようになる。

 

リアルな資産の動きをイメージ出来るということは、そこに至るまでの生活、目指す目標を定められるということだ。

 

将来どんな生活をしたいのか、それによって必要な金額は変わってくる。

 

豪華な暮らしをするために、体調の無理を押してでも仕事をする人生を選ぶのか、それなりの暮らしで無理のない働き方を続けるのか。

 

人の幸せも求めるものも、星の数ほどある。

ただし、その中で自分は何を求め、何が実現出来るのか。現実を把握することは、悲観することではない。私にとっては、ゴールの見えない未来に向かって、がむしゃらに働くことが辛かった。

 

株を始めることは、自分にとっての「無理な生き方」や「日々の不安」をセーブする良い切欠であった。